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最高裁判所大法廷 昭和22年(れ)126号 判決 1948年7月19日

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人山口貞昌上告趣意第一點について。

大審院は、明治憲法と裁判所構成法とに基く組織と構成と權限を有する裁判所であり、最高裁判所は、厳肅な歴史的背景の下に、日本国憲法と裁判所法とに基く組織と構成と權限を有する裁判所である。共に司法權を行使する機關であり又わが国における最上級の裁判所であるという關係において、相互の間にもとより幾多の類似點がないのではないが、両者の組織、構成、權限、職務、使命及び性格が著しく相違することは、敢て多言を要しないところである。從って、最高裁判所は所論のように、大審院の後身でもなく、その承繼者でもなく、又両者の間に同一性を認めることもできない。されば、論旨のごとく大審院に繋屬した事件は、最高裁判所において當然繼承して審判しなければならぬという道理もなく、かかる憲法の法意が存在するとも考えられない。最高裁判所の裁判權については、違憲審査を必要とする刑事、民事、行政事件が終審としてその事物管轄に屬すべきことは、憲法上要請されているところであるが(第八一條)、その他の刑事、民事、行政事件の裁判權及び審級制度については、憲法は法律の適當に定めるところに一任したものと解すべきである。そして、最高裁判所は必ずしも常に訴訟の終審たる上告審のみを擔任すべきものとは限らない。外国の事例も示すように時に第一審を掌ることも差支えない(裁判所法第八條参照)。又必ずしも常に最高裁判所のみが終審たる上告審の全部を擔任すべきものとは限らない。他の下級裁判所が同時に上告審の一部を掌ることも差支えない。わが国の過去においても下級裁判所たる控訴院が上告の一部を取扱った事例もあり、又現在においても下級裁判所たる高等裁判所が地方裁判所の第二審判決及び簡易裁判所の第一審判決に對する上告について、裁判權を有している(裁判所法第一六條)。その間における法律解釋統一の問題は、他におのずから解決の方法が幾らも存在し得る。されば、裁判所法施行令第一條が、「大審院においてした事件の受理その他の手続は、これを東京高等裁判所においてした事件の受理その他の手続とみなす」旨を規定したのは、毫も憲法の法意又は裁判所法第七條の規定に抵觸する違法ありとは考えられない。論旨は、それ故に理由なきものである。

同第二點について。

最高裁判所は、大審院の後身乃至承繼者でないこと、並に裁判管轄及び審級制度は、違憲審査權の最終審を除く外は、一に法律の定めるところに委されていることは、前に述べたとおりである。從って、憲法及び司法制度の一大變革期にあたり、明治憲法及び裁判所構成法は廢止せられ、代って日本国憲法及び裁判所法は実施せられ、その施行の際廢止となった大審院において從來受理していた一群の訴訟事件をいかに處理するかは問題ではあるが、所論のごとく最高裁判所の開設と共に「事物當然の順序として」當裁判所において審理さるべきものと論定し去ることはできない。かかる一群の特殊な事件については特例を設け、法律(裁判所法施行法第二條)をもって「政令の定めるところによりこれを最高裁判所又は下級裁判所においてした事件の受理その他の手続とみなす」と規定し、この委任に基き政令(裁判所法施行令第一條)をもって「大審院においてした事件の受理その他の手続は、これを東京高等裁判所においてした事件の受理その他の手続とみなし」、同裁判所はかかる事件につき大審院と同一の裁判權を有する旨を規定したことは、もとより適法であって憲法の精神又は裁判所法第七條に違反するところはない。裁判所法第七條は同法施行後新に提起される上告事件(高等裁判所の第二審判決及び地方裁判所の第一審判決に對する上告に限る)に關するものであり、舊事件には適用がないことを明かにしたのが、裁判所法施行法第二條であって、舊上告事件は同條及び裁判所法施行令によって處理される譯である。これらの規定は、法律改廢の際における經過規定として當然定め得べきことを定めたに過ぎないものであって、所論のように裁判所法第七條の効用を削減し施行法規の使命に副わざるものであると言うことは當を得ない。又裁判所法施行法第二條は、いわゆる舊事件の裁判權をいかに配屬せしめるかを一切政令に委したものと解すべきであるから、政令たる裁判所法施行令が舊大審院事件を東京高等裁判所の管轄に屬せしめた結果最高裁判所に配屬せしめられる舊事件が全然なくなったとしても、それは、論旨のごとく、裁判所法施行法第二條の委任の趣旨に背いた違法があるとか又裁判所法第十七條に適合しないとかの非難を加えることはできない。又大審院は廢止せられかかる一群の訴訟事件は、最早大審院において審判を受けることができなくなったから、東京高等裁判所において舊大審院と同様に特に五人の裁判官の構成による合議體をもって審判すべきものとし、又大審院の裁判權と同様に從來どおり量刑不當及び事実誤認の上告理由をも許すべきことを規定し、更に又実際の運用においても主として從來の大審院判事が引き續きその衝に當ることができるように構想せられたものであって、立法の上で国民の基本的人權は十分に尊重せられている。從って、憲法の精神に背くところはない。論旨は、それ故に理由がないのである。

同第三點について。

論旨は、「當然最高裁判所において處理すべき事件を殊更下級裁判所の管轄と定めた」ことを前提として既得權侵害を主張するのであるが、かかる前提の採用すべからざることは、前述のとおりであるから、国民の既得の權利利益を不當に抑損したものでないことはおのずから明白である。いわゆる舊事件の訴訟關係人に對しては、裁判所法施行法及び裁判所法施行令によって裁判所において裁判を受ける權利を明確に認めているのであるから、憲法第三二條に違反するという非難も當らない。この論旨も、それ故に理由なきものである。

本件に對する裁判官沢田竹治郎の意見は次のとおりである。

再上告趣意第一點について。

(一)日本国憲法(以下憲法と略稱する)第七十六條第一項と同第七十九條第一項との二つの規定に鑑みると、憲法は裁判官の員數、下級裁判所の種類員數を定めること則ち裁判所の審級構成の定を擧げて法律に一任しているのだと解せられる。かように憲法が法律に一任したのは、裁判事務も他の事務と等しく社會情勢の變遷に伴ひその裁判の對象となる事件の性質、種類は勿論その數にも、たえず異同を生ずることは必然であるから、司法の使命を十分に達成するにはこの異同に即應して事件の審理を公正に迅速に進めうる裁判所の審級構成を容易に整えることが必要であって、それには裁判所の審級構成を改正手續の法律に比して厳正複雜な憲法で定めておくよりも、法律で定めておくのが時宜に適するからである。そこで裁判所の審級構成を定めるには當然にどういう事件はどの裁判所の管轄とするかということが前提となるのである。從って憲法で管轄裁判所が規定せられていない事件のすべてを、どの裁判所の管轄とするかということを法律で定めることにしておかないのでは、法律で裁判所の審級構成を定めることができぬわけである。しかるに憲法で管轄裁判所について規定しているのは、その第八十一條だけである。それ故に同條で最高裁判所の管轄として定めている事件即ち法律、命令、規則又は處分が憲法に適合するかしないかを終審として決定する事件(以下違憲審査事件と略稱する)以外のすべての事件を、どの裁判所の管轄と定めるかは擧げて法律に一任するというのが憲法の精神趣旨だといわなくてはならぬ。從って假に法律で違憲審査事件以外のすべての事件を下級裁判所の管轄に屬せしめると定めたとしても、その法律は憲法の精神に反するものだとはいえない。しかも最高裁判所が法律、命令、規則が憲法に適合するかしないかの決定をするのは行政事件の裁判にのみ限らぬ。民事や刑事の裁判にもありうることであるから最高裁判所に違憲審査事件のみを取扱わせるという法律は最高裁判所に民事刑事の裁判を取扱わせないということを定めたものとはいえぬ。故に右法律は最高裁判所に民事、刑事の裁判を取扱はしめることを精神とする憲法に反するものだとはいえない。

(二)憲法は特にその第八十一條で違憲審査事件についての法の解釋の統一を最高裁判所の任務と定めているが、その他の事件についての法の解釋の統一については何等定めていないところから考へると、その他の事件についての法の解釋の統一をどの裁判所でするかは法律の定むるところに一任する憲法の精神であって、法の解釋を統一するためにすべての上告を最高裁判所に取扱わせなければならぬとする憲法の精神でないことは明かである。

(三)裁判所法はその第十六條第三號に「地方裁判所の第二審判決及び簡易裁判所の第一審判決に対する上告」と規定していて上告事件でも、これらは高等裁判所の管轄に屬せしめているから同法第七條で最高裁判所の管轄に屬すると規定している上告は高等裁判所の第二審判決又は地方裁判所の第一審判決に對する上告のみに限られているのはいうをまたぬ。故に同條の規定があるからといって同法が上告事件の全部を最高裁判所の管轄に屬せしめるという憲法の法意を紹述したものだとはいえない。

(四)最高裁判所は憲法で直接設けられ、違憲審査事件の終審裁判所たる任務の他に、規則を制定し、下級裁判所の裁判官を指名するの權限をあたへられ又裁判所法で最高裁判所の職員並びに下級裁判所及びその職員を監督する權限をあたへられている。しかるに大審院は裁判所構成法で設けられ、しかも最高裁判所の有する任務權限に相當するものの一つもあたへられていない。即ち最高裁判所は立法權及行政權が憲法から逸脱して權限を行使することを抑止する新な国家機關たる地位を占め、嘗て司法大臣に屬していた裁判所の人事行政その他の司法行政の權限をもっているのに、大審院はかような地位と權限とをもっていなかったことだけに見ても、最高裁判所の国法上の地位、性格及機能が大審院のそれと異っていることは明かであるから、最高裁判所を大審院の後身とか後繼者とかと認めなくてはならぬということはない。

(五)裁判所法施行令第十九條中の「大審院とあるのは最高裁判所とする」の規定は法律及び政令に特別の定のある場合は適用されないのである。そして裁判所の權限管轄は裁判所法施行法及び同法施行令に定められているから權限管轄に關する限り大審院を最高裁判所とよみかへるという施行令の右規定は適用がない。從って裁判所法施行令第十九條は最高裁判所を大審院の後身とか後繼者とかと認めることが正しいという證明とはならぬ。故に假に最高裁判所が大審院の後身であり後繼者であるとしたら大審院で受理した事件は當然に最高裁判所に引繼がるべきであるとしても、前述のように、最高裁判所は大審院の後身でも亦後繼者でもないのであるから、大審院の受理した事件は當然に最高裁判所に引繼がるべきだということにはならない。

(六)裁判所構成法で設けられた大審院及びその以下の各裁判所が最高裁判所及び下級裁判所の何れに相應するものであるかは憲法では定められていない。即ち大審院が最高裁判所に相應すると憲法は認めていないのであるから、裁判所の管轄について憲法の定と異なる特別の定を法律でするということがあり得ない。從って裁判所の管轄に關しては憲法第百三條のような經過的規定は憲法に定められない筋合である。故に裁判所法施行法に基ずいて同法施行令第一條第一項で大審院の受理した事件を東京高等裁判所の管轄とする旨を定めたことは憲法に違背するものでもないのは勿論裁判所法第七條に抵觸するものでもない。

上告趣意第二點について。

(一)裁判所法第七條は憲法施行後の上告の一部を最高裁判所の管轄と定めたのに過ぎないから、同條は憲法施行前の上告についての規定ではない。從って、裁判所法施行令第一條第一項が大審院で受理した上告を東京高等裁判所の管轄とする旨を定めたからといって同條の規定が裁判所法に違背しその効用を減殺し施行法令の使命に副はないものとはいえない。

(二)裁判所法施行法第二條第一項には「政令の定むるところにより」と規定していて、その政令が定めるについての條件制限を少しも規定していない。又同項に「最高裁判所又は下級裁判所に」とあるは最高裁判所と下級裁判所との両者にという意味だけでなく何れか一方にと云ふ意味も含まれていることはいうまでもないから、同法は政令が大審院の受理した上告を最高裁判所の管轄と定めないことのあることをも當然豫想しているものといえる。從って裁判所法施行令第一條第一項は裁判所法施行法第二條第一項の委任に反するものとはいえない。

(三)大審院の受理した上告事件を東京高等裁判所の管轄に屬せしめるのには裁判所法第十七條によって法律の定を要するという所論は正しい。しかし裁判所法施行令第一條中「大審院においてした事件の受理その他の手続はこれを東京高等裁判所においてした事件の受理その他の手続とみなす」という規定が裁判所法施行法第二條第一項の委任に基いて適法に定められたものであることは前段説明で明かである。そして裁判所法第十七條にいう「他の法律」とはかゝる法律の委任に基いて適法に定められた政令の規定をも意味するものであることは、いうをまたぬところであるから、裁判所法施行令第一條中の右の定を以て裁判所法第十七條にいわゆる「他の法律において特に定める」に該當しないものということはできない。

(四)裁判所法施行令第一條第一項は裁判所法施行法第二條第一項に基いて定められた規定であって同法第七條の委任によって定められた規定ではない。從って同條の委任についての所論が正當であるとしても、これをもって裁判所法施行令第一條第一項の規定が裁判所法施行法第二條第一項の委任の趣旨に反しているという論據とはならない。

上告趣意第三點について。

しかし憲法第三十二條も明治憲法第二十四條も、ともにその立法趣旨は何人も憲法なり法律なりで管轄裁判所と定められている裁判所で裁判を受ける權利があること及びその權利は憲法で保障するということを宣言するにある。しかるに再上告人が上告の裁判を受けた東京高等裁判所は前述したように憲法の精神に基いた法律で管轄裁判所と定められた裁判所であるから、憲法第三十二條が保障している裁判を受ける權利は毫も侵害されていないといわねばならぬ。しかのみならす裁判所法施行令第一條第一項によって東京高等裁判所が取扱うこととなった事件については、東京高等裁判所が大審院の裁判權と同一の裁判權を有することは、同條第二項第一號の規定により、又東京高等裁判所が右の事件を取扱う場合には、合議體の裁判官の員數は三人ではなく特に五人であることは、同條第三項の規定により明かであるから、東京高等裁判所で審理を受けるのは大審院で審理を受けるのと実質上何等異るところがないといってよい。故に大審院で審理されていた事件を憲法施行後東京高等裁判所で審判したからといって、既得の權利を侵害することにならぬのは勿論憲法の人權尊重の趣旨に反するということにもならぬ。

本件に對する裁判官齋藤悠輔の意見は次のとおりである。

沖本忠七辯護人山口貞昌再上告趣意第一點について。

憲法は、司法機關の權限に關しては、その第七六條第一、二項において同法第五五條第六四條等の例外を除き「すべて司法權は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に屬する。」と規定すると共に特別裁判所の設置及び行政機關による終審裁判を禁止し同第七七條において最高裁判所にいわゆる規則制定權を與え、同第八一條において「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は處分が憲法に適合するかしないかを決定する權限を有する終審裁判所である。」と規定しているに過ぎない。それ故司法裁判權は憲法上原則として最高裁判所及び法律の定める下級裁判所に屬するけれども下級裁判所の種類並びに最高裁判所と下級裁判所との間にその裁判權限を如何に分配するか、既に舊裁判所に係屬した事件の審判は如何にすべきか等の問題については右第八一條の場合を除き憲法上何等の制限がなく、從って憲法に比し改正手續の容易な法律において、事件の性質、種類、數量並びに裁判所の構成、負擔能力、その審判手續その他諸般の事情を考慮し適當に立法すべきことを一任したものと解すべきである。所論のように最高裁判所は最上級審の裁判所としてあらゆる民事刑事の上告審判を當然擔任處理せねばならぬ憲法の精神は毫もこれを発見することはできない。それ故法律は、裁判所法第二條において下級裁判所の種類を、同第三條において裁判所の權限を、同第四條において上級審の裁判の拘束力を夫々規定すると共に同第七條第一六條において所論とは異って上告事件を最高裁判所と高等裁判所に分配し、更に刑訴應急措置法第一五條第一七條において高等裁判所の上告事件につき右憲法第八一條の場合に最高裁判所をして最終の判斷を爲さしむる道を開き右裁判所法第四條により法律解釋の統一を期したのである。所論のごとく裁判所法第七條は所論のような憲法の法意を紹述し單に憲法の内容趣旨をそのまゝ再確言したと視るべき根據は何等これを見出すことができない。殊に、一時の經過的規定として既に裁判所構成法による裁判所においてした事件の受理その他の手續を裁判所法による如何なる裁判所の受理その他の手續とすべきかは所論のごとく單に裁判所の本來の地位、權限のみから決定さるべき事項ではなく、裁判所法による各裁判所の構成その他諸般の事情及び訴訟關係人の訴訟手續上の利害等をも考慮して決定すべき事柄であって所論のごとく舊大審院に係屬した事件は當然その後繼者と目すべき最高裁判所をしてそのまゝ引續き審判せしめねばならぬものとすることはできない。若し然りとすれば刑事の上告人は舊大審院では常に五人以上の裁判官による事実審理をも受け得られたにかかわらず、最高裁判所においては三人の裁判官による法律點のみの審査を受け量刑不當乃至事実誤認の上告理由は許されず、事実の審理は全くこれを受けることができないであろう。されば法律が裁判所法施行法において右從前の裁判所における事件の受理その他の手續、從前の裁判官の地位その他の事項について特例を認め、その事件の分配、その裁判權及び裁判所の構成等に關し必要な事項は政令でこれを定める旨規定し、この法律の委任に基き裁判所法施行令第一條を設けたからと言って憲法の法意並びに裁判所法第七條に違反したものとはいえない。論旨はその理由がない。

同第二、三點について。

しかし裁判所法第七條は、高等裁判所の裁判權に關する同法第一六條第三號と同じく同法施行以後新たに提起される上告事件に對する最高裁判所の裁判權に關する規定であり、同法施行法第二條は從前の上級下級一切の裁判所及び行政裁判所における舊事件の受理その他の手續に關する規定であるから両規定の間に何等本來の關係は存しない。また裁判所法施行令第一條は右施行法の第二條及び第七條の委任に基く規定である。それ故右施行法第二條及び右施行令第一條は所論のごとく裁判所法第七條の効用を削減するものではなく、また施行法規本來の使命に副わない規定ともいえない。そして右施行法第二條及び第七條の委任は所論のように廣汎な範圍に亘るものではなく、論旨にいう裁判所法第一七條の外同法第八條、第一八條、第二五條、第二六條、第三四條等の裁判所法で特定した事項に關するもので憲法第七三條第六號の豫定するところであるから、もとより、憲法の禁止するところではない。それ故右施行法第二條及び第七條の法律の委任に基く同施行令第一條を以て裁判所法第一七條に適合しないとの論旨はこれを採ることができない。

次に論旨第一點で述べたごとく既に裁判所構成法による裁判所においてした事件の受理その他の手續については所論のように裁判所の本來の地位權限のみから當然決定さるべき事項ではなく、裁判所法による各裁判所の構成その他諸般の事情及び訴訟關係人の訴訟手續上の利害等をも考慮して決定すべき事柄であるから裁判所法施行法第二條は「政令の定めるところによりこれを最高裁判所又は下級裁判所においてした事件の受理その他の手続とみなす……」と規定し、なお同第七條は「この法律に定めるものの外裁判所法及びこの法律の施行に関し必要な事項は政令でこれを定める」と規定して法律を以て從前の裁判所における事件の受理その他の手續を裁判所法による如何なる裁判所の受理その他の手續とすべきか並びにその裁判權及び裁判所の構成等を如何に規定すべきかを更に政令に委任したのである。そしてこれらの法律規定は前述の理由により憲法の禁止するところでないこと言うまでもないのである。然るに裁判所法の施行と共に大審院は廢止せられ、しかも、その當時最高裁判所は人的にも、物的にも事実上未だ設置せられず、その事実上設置を見るには、なお、相當の日數を必要とする状態に在り、かくては、最高の裁判所において裁判を受ける上告人の權利は事実上一時奪われる結果となる恐れがあり、また、最高裁判所においては、上告理由を制限し、事実審理を行わず、純然たる法律審とする建前であり、從って同裁判所をして審判せしめるときは上告人の訴訟手續上の權益を害する恐れもあったから、裁判所法施行令は前記施行法の委任に基き一時の應急的措置として、その第一條第一項において「大審院においてした事件の受理その他の手続は、これを東京高等裁判所においてした事件の受理その他の手続とみなす……」と規定して大審院に係屬した舊事件を前記裁判所法施行法第二條所定の下級裁判所たる東京高等裁判所のみに屬せしめたのである。この施行令第一條はそれと同時に右第一項の規定の外裁判所法施行法第三條第一項の「裁判所法施行の際現に大審院の裁判官の職に在る者で最高裁判所の裁判官に任命されないものは、判事として東京高等裁判所判事に補せられたものとみなす」との規定に對應して同令第一條第二、三項の規定を設け司法裁判所たる東京高等裁判所をして事実上大審院と同一の權限、組織、構成を以てその事件を取り扱うことを得るようにし、彼の刑訴應急措置法が特にその附則において前記從前の事件については量刑不當乃至事実誤認の上告理由、事実の審理その他につき從前と同一の訴訟手續に依ることを許した規定と相待って、上告人の權利利益を事実上從前と同一に保障したのである。それ故裁判所法施行令第一條は所論のごとく裁判所法施行法第二條の委任の趣旨に背いたものではなく、また、所論のごとく憲法上の裁判を受ける既得の權益を奪ったものとも言い得ないこと前述の理由に照し明白であるから論旨第二、三點もその理由がない。

本件に關する裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。

刑事被告人が起訴後(正確に言えば犯行後である)に裁判所の構成組織乃至管轄を變更する法令が制定実施された爲め、刑事被告人が上訴(本件については上告である)しえたであろう裁判所と違った裁判所へ上訴することになった場合、刑事被告人は變更されなかった裁判所へ、若しくは本人がそれと同様であると認める裁判所へ上訴しうる權利又は既得の權利が果して憲法上保障されているのであるか。もし再上告人の主張が正しいとすれば、その限度に於て法令がかかる變更をなしえないものである。從て多數意見のように最高裁判所の違憲審査權を除いて憲法が裁判所の裁判權乃至組織を法律の定めるところに一任していると言うのでは、論旨を判斷する所以ではなく、寧ろ憲法上の保障の有無、その内容について判斷すべきものである。

論旨は漠然として正確を缺いているけれども要するに法令が刑事被告人の地位を起訴當時に比して、その不利益に變更することは許されないのが憲法の法意であるとするのである。日本国憲法第三十九條は、何人も、実行の時に適法であった行爲については、刑事上の責任を問はれないと規定しているのであるが、その趣旨は、法律が單に過去の適法な行爲を罪としたり又はその罪を加重したりすることを禁ずるに止まらず、法律が刑事被告人の地位を行爲當時に比して不利益に變更することができないという保障である。この保障は民主国の成文憲法の下では、一般に事後法の原則(精しく言えば事後法禁止の原則である)と呼ばれるものであるが、日本国憲法も第三十九條でこの原則を掲げているものである。つまり論旨のいう憲法の法意は憲法第三十九條の法意であるかの問題として檢討すべきものである。

或は訴訟は各審級について別個の訴訟行爲から成るものであるから訴訟に關する法規を各審級について適用してもそれを遡及せしめるものではないとも言いうるであろうが、刑事被告人から見れば連續した一つの訴訟であるから、訴訟に關する法規でも、その実施前後によって被告人の地位に不利益な効果を及ぼす場合は、事後法の原則に支配されうるものである。しかし事後法の原則はもともと公正の觀念に出ずるものであって、法令実施前に被告人が上訴しえたであろう裁判所とは別な裁判所へ上訴することになっても、裁判所が審理をする成規の手續に異るところがなければ、被告人の地位を実質的に法律上不利益に陥れたものとは解すべきでない。從て再上告人の主張は憲法第三十九條の法意にも含まれないものである。

次に憲法第三十二條の特權は、何人も、裁判上の救濟を求めることができる權利である。けれどもそれ以上に出でるものではないから上訴審を保障するものではない。加之憲法上保障される国民の基本的人權は国民の既得の權利というものではない。既得の權利とは国民が法律が実施される結果若くはその保護の下で国民の行爲によって獲得した權利である。

元來憲法第三十二條の保障も他の憲法上の保障と同様に、憲法の実施以前に遡るものではない(憲法第百條)。憲法は第三十九條の場合を除いては、憲法施行後の法律がその施行前の行爲に効果を及ぼすことを禁じてはいない。從て第三十九條の原則で保障されない限り被告人が大審院へ上告しえた權利が變更されても違憲の問題を生ずるものではない。

最後に多數意見は、裁判所法施行法第二條の委任に基いて、同施行令第一條が舊大審院事件を東京高等裁判所の所管に屬せしめても右委任の趣旨に反した違法がないとするのであるが、この點についても不幸にして所見を異にするものである。

日本国憲法の下では、政令には特に法律の委任がある場合を除いては罰則を設けることができない。(第七十三條第六號)法律の委任がなければ、政令は罰則を設けることができないのは明であるが、それ以外でも法律が委任すれば政令を法規を定めうるように解せられなくはないが、成文憲法を以て三權を分立せしめた以上は、特に罰則を設けるために法律が委任した場合を除いては憲法上委任命令は禁じられていると解すべきであり而も日本国憲法では法律が定めた條件の範圍内でのみ政令が法規を制定しうるのである。從て裁判所法施行法第二條の規定は同第七條の規定と共に委任の規定ではなく、内閣が憲法第七十三條第六號に基いて、法律の規定を実施するために政令を制定する場合に於ける條件乃至基準を定めたものである。政令はこの範圍内で裁判所法及び裁判所法施行法に關し必要な事項を定めてよいのであるが法律に特にその條件が定めてない限り政令を以て法律を變更することは許されないというべきである。然るに裁判所法施行令を見ると、第一條第三項のみならず、第三條第三項及第五項、第九條、第十八條第一項で裁判所法の規定の例外を設けているのである。即ちこの例外の限度に於て裁判所法を變更しているものである。かかる變更は政令を以てしては規定しえないものであって、法律即ち裁判所法施行法を以て規定すべかりしものである。この意味で裁判所法施行令は再上告人のいうように、委任の範圍を逸脱したのではないが、憲法第七十三條第六號の規定に違反したものである。尤も、この違憲性は本件再上告棄却の理由に影響を與えるものではない。なぜならば被告人は本件政令の違憲性を抗辯として提出する憲法上保障された何等の權利を有していないからである。

以上の理由によって、論旨は理由がないものである。

よって、刑訴第四四六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は、理由に關する少數意見を除き裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 三淵忠彦 裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎)

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